奈良・平安時代『萬葉集』の五巻に。文学

天平2年4月6日と、次の年の6月17日に相撲をしたという記録がある。

聖武天皇は勅令をもって、全国各地の農村から相撲人をなかば強制的に募集した。毎年7月7日の七夕の儀式に、宮中紫宸殿の庭で相撲を観賞したのである。

こうした宮中における相撲の披露は、「天覧相撲」と称された。

平安時代になると、相撲がすでに宮中の重要な儀式となった。

毎年、定期的に「三度節」の一つとして「相撲節会」が行われた。

相撲節会の儀式は、すなわち中国唐代の儀式をまねたものであった。

三度節には、「射礼」と「騎射」、「相撲」の三つの内容があった。

その規模は壮大で、豪華絢爛な催しであったとされる。

宮中で行われた相撲節会のほかには、民間の相撲も大いに行われていた。

一般の庶民による相撲は「土地相撲」、または「草相撲」と呼ばれていた。

一方、「武家相撲」は武士たちの組み打ちの鍛錬であり、また心身を鍛える武道でもあった。

やがて実戦用の武術となった。
update:2010年02月19日