反乱または王権間の戦争 「歴史・戦争・古墳時代」
磐井の乱とは、527年に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト政権軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌528年11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱または王権間の戦争。
この反乱・戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡る主導権争いがあったと見られている。
磐井の乱に関する文献史料は、ほぼ『日本書紀』に限られているが、『筑後国風土記』逸文(「釈日本紀」巻13所引)や『古事記』、『国造本紀』にも簡潔な記録が残っている。
なお、『筑後国風土記』には「官軍が急に攻めてきた」となっており、また『古事記』には「磐井が天皇の命に従わず無礼が多かったので殺した」とだけしか書かれていないなど、反乱を思わせる記述がないため、『日本書紀』の記述はかなり潤色されているとしてその全てを史実と見るのを疑問視する研究者もいる。
この反乱・戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡る主導権争いがあったと見られている。
磐井の乱に関する文献史料は、ほぼ『日本書紀』に限られているが、『筑後国風土記』逸文(「釈日本紀」巻13所引)や『古事記』、『国造本紀』にも簡潔な記録が残っている。
なお、『筑後国風土記』には「官軍が急に攻めてきた」となっており、また『古事記』には「磐井が天皇の命に従わず無礼が多かったので殺した」とだけしか書かれていないなど、反乱を思わせる記述がないため、『日本書紀』の記述はかなり潤色されているとしてその全てを史実と見るのを疑問視する研究者もいる。
update:2010年03月07日
